まてまて、トップ絵を見て閉じるを押そうとするんじゃない。ここはアニメとエロゲが6:4の超危険地域だ。耐性がない物は即座に帰ってもらおう。
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 カニバリズム?
 それとも死しても愛せるネクロフィリア?

 沙耶の唄をやりました。とてつもないストーリーで純愛を簡単に口にしていいものではないと思った。
 人がモンスターに変わるにはまずこの世界を否定することから始まります。嫌なことや辛いことを受け入れて、全てを壊すことを目的になること。
 360人殺しのルーカスと呼ばれたヘンリー・リー・ルーカスも、生まれる前の母体の腹に蹴りを入れてみたいサド野郎を募集中などといういかれた募集の仕方をしていた母親に育てられ、何人殺したか分からないほどの凶悪犯となった。
 俺はそんな狂った世界に生まれて、正気でいられるほどの理性があったからこうなったのだと考える。もしこれで正気でいられなかったら・・・いや、まともに考えるなら自殺するのが一番手っ取り早い。しかしそれを受け入れて生活しようとする。ゆえに自分のしてることが分からなくなるのだ。
 モンスターと呼ばれたシリアルキラーの殺人者達もかえって頭のいいのが多い。エドマンド・エミール・ケンパーテッド・バンディも、IQを平均値を超える天才児だった。
 しかしほんのちょっとだけ生き方を間違えただけで天才は最もかけ離れた方法で有名人となってしまう。
 皮肉ではないが俺が頭がよろしくなくてよかったなぁと思ったりもするよ。それとちゃんとした家族なんかがいて更に良かったと思ってる。

 さて沙耶の唄ではこれを純愛目的としたストーリーで、主人公は愛のために全てをうけいることになった。
 仕方が無いのかも分からない。狂ってるのは自分だけだから。世界がまともなのに自分だけ狂ってるからという理由では正当性にかける。
 ただ酷い話の傍らにあるひとつの愛である。ということだけなんだと思う。
 漫画の火の鳥では人が人に見えなくなった男の話があった。最後が思い出せないけれど。漫画の神様は考えることが違いすぎて頭が上がらないぜっ!!
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